横浜初!路線バスの小型化を実現

浜市磯子区には、古くからの街道が多く残っている名残からか、道幅が狭く曲がりくねった道も多い。
雨の日になると傘の列が道を覆い、バスの運転手も一般車のドライバーも、対向車とのすれ違いの際にストレスを感じていた。

小さな接触事故もしばしば発生し、いつ大きな事故が起こってもおかしくない。

事実――。子供たちの通学路としても危険が多く、住民からの苦情も殺到していた。
この声を受け止めた若き青年『加藤ひろと』当時37歳。彼は初当選後、この問題に真っ先に取り組んだのである。

現場を見た加藤ひろとは直感した。

「バスを小さくすればいい。バスの大きさに合わせて道幅を広げていればあまりにも時間がかかりすぎる――」

『加藤』は市会議員として、まだ右も左も分からぬまま、バスの小型化に向けて動き出した。

が――。「小型化してしまえば、収益を減らすことになる」
それが市の答えであった――。
そしてなによりも実現を難しくしたのは、「前例がないものはできない」という、当時の社会の体質そのものであった。

「前例がないのなら作ればいい。前例を作れるのは自分たちしかいない」理想と現実とのギャップに『加藤』は唇をかんだ。
それからというもの、『加藤』は解決の糸口を探し求めて、来る日も来る日もあらゆる時間帯のバスに乗った。

時を振り返って『加藤』はこう語る

「カウンターを持って、バスに何人乗るかを全部調べました。交通局に問い合わせても、正確な数字がでてくるかどうか分からないということでしたので、自分も何度も乗りましたし……。
それで一番のラッシュ時、上中里あたりで、何人バスに乗るのかを正確に数えました。また、収益性を様々な角度から調査しました。10系統と93系統がどういう経営状態になっているのか。
そうすると、両方の路線の収益は、横浜でもワースト3に入っているということが分かりました」

『加藤』の調査は2ヶ月にも及んだ――。

集めたデータをすぐさま集計した結果、バスを小型化する事によって試算できた数字は、市交通局の赤字を大幅に下げる事がわかった。

果を手に、期待に胸をふくらませながら『加藤』は交通局へ勇み交渉を重ね続けた――。

また、問題の路線にはバスを安全に誘導するための7人の乗務員がいた。
バスを小型化すると、7人の乗務員は職を失うことになる。

『一人の犠牲者も出さない――』

との思いを胸に、『加藤』は市の人事課や関係官庁を走り回り7人の異動先をも確保した。

こうして、あらゆる壁を乗り越え、1996年3月、磯子区に横浜市内初となるミニバスが誕生したのである。

『加藤』の実績が前例となり、翌年から交通局は小型バスの導入を積極的に行うとの方針に180度転換。

現在では市営バス813台のうち、106台ものミニバスが市内各地で活躍している。