横浜初!区内全駅のバリアフリーを実現

間に乱反射する太陽光――。その美しい照り返しが届く丘に『加藤』は立っていた。『洋光台』そう名付けずには置けない美しさがある。
『加藤』は、そう思わずにいられなかったという。
この場所へ彼を導いたものは、たった3cmよって失われる命の儚さと、そういった現実が起こってしまう悲しさであった。


わずか3cmの段差につまずき、この世を去った方もいる――。わずかな段差による事故はそればかりではなかった。やはり、段差につまずいた老人が、大腿骨を骨折するなど、いくつもの報告を受けている。
車いすの方やベビーカーを押すお母さん達の立場になって考えてみても、段差の無い街づくり――『バリアフリーの実現』
この命題が、どれだけの生命と生活に直結してくるのだろうか。

(救える命があるなら、救いたい――。助かる人がいるのなら、助けたい――。)それが『加藤』の心情であり、決心でもあった。

れまでエレベーター、エスカレーターの設置は、企業努力に任されていた。設置するも、しないも、企業の自由なのである。
『加藤』の思いと同じく、バリアフリーの必要性を訴え続けてきた公明党は、さらに『バリアフリー』を法として推進。これによって、エレベーター、エスカレーターの設置は『企業努力』ではなく『義務』となったのである。

それを境として、いくつかの駅にはエレベーターもエスカレーターも設置され始めた。しかし、いつまでたっても、洋光台駅には設置されない。
それを見かねた加藤が、区役所に要望書を提出すると、返ってきた答えは「設置基準を満たしていない」というものであった。
『基準を満たしていない』との言葉に引っ掛かるものがあった『加藤』は、メジャーを片手に自分のその足で、エレベーターの設置されている京浜東北線・根岸線の駅を、しらみつぶしに測って回ることにした。
すでにエレベーターの設置されている港南台駅へとむかう『加藤』のひとみには、並々ならぬ決意がうかがえる。
『加藤』はホームに降りると、すぐさまメジャーを伸ばし測ってみる。
作業を進めるのと同時に、はげしく鼓動が高鳴った。
しめされた値は、洋光台駅とほぼ同じ実測値だったからである――。

『加藤』は家に帰るなり、ふたたび要望書の作成に着手した。
後日、調査結果を盛り込んだ要望書を熱い思いとともに行政へ提出。
その報告を受けた行政側は、「もう一度調査してみる」との回答に転じ、再調査の結果、データの誤りを認め「早急に設置します」との訂正文が『加藤』のもとに送られてきたのである。

こうしてのち、横浜市内初となる『区内全駅エレベーター、エスカレーター設置』という実績が『加藤』の手によってまた一つしめされ、未然に防がれた事故もあるに違いない。